2012年12月30日日曜日

黄色い雨


原発から60キロの福島市に放射能を含んだ雪が降りました。

2011年3月15日。二年前です。

そして 3月22日には ストロンチウムを含んだ 黄色い雨が降りました。
福島市は、空間線量が24マイクロシーベルト/H となりました。

通常の485倍です。

放射性セシウムは、44万ベクレル/m2 も降り落ちたのです。

その日から、畑にあった野菜は捨て、マスクをし、水を買い、
遠く1000キロ以上離れた場所の野菜を食べました。

私は、放射能が舞い落ちると頭痛(左側)を 感じるようになりました。
2011年6月。
ようやく11才の息子と600キロ離れた北海道に 自主避難することができました。

福島で 離れている夫とは 別居生活となりました。

福島を離れて 安全な空気を吸い 安全な食べ物を食べられるようになったのに、
心は寂しかったのです。

自分たちだけが 避難してきたことへの 負い目を感じました。

夫は、二日間しか休みがないのに、10時間電車に乗り
10時間夜だけ北海道にいて、10時間電車に乗って 私たちに会いに来てくれました。

子どもの心はずっと福島に 飛んでいて 北海道を好きになることはありませんでした。
私たちは、マイナス16度まで下がる北海道をひと冬経験して9か月間で
福島に帰ってきました。

けれども、福島にいると、頭痛がしたり、喉がずーっといたかったりします。

息子は、今、まぶたに原因不明の皮膚の赤み、腫れに悩まされています。

近くに住んでいる姉は 甲状腺が腫れ、慢性甲状腺炎と言われ、

その上、甲状腺がんの疑いのある石灰化したしこりが 見つかりました。
(診断がでたら、またお知らせします。)

福島に暮らすということは、いつ最悪の状況に陥ってもおかしくない
原発のそばに ずっと暮らし続けるということです。

原発3機からは、毎日2億4000万ベクレルの
放射性セシウムが大気中に放出し続けています。

それでも、福島に暮らし続けるのは、ここが私たちのふるさとだからだと思います。

簡単に棄てることなどできないのです。

国も県も市も福島市は安全だと言います。

安心して 放射能被害を訴えることができる 医師が周りにいません。


2013年3月

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TOMOKO SHIGA

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