2013年4月1日月曜日

若い記者の死に、思う



 3月10日、震災1年の紙面作りに総力を挙げる同僚に頭を下げ、休みを取って南相馬に行った。行き先の一つだった福島民友新聞の支社には誰もい なかったが、入り口脇に花束を置かせてもらった。1年前、ここからカメラを持って海に向かった若い男性記者が津波の犠牲になった。
 
その記者の生前を私は知らない。しかし記者なら誰でも、彼の死に思いを重ねたはずだ。


 9年前、新米記者だった私は偶然居合わせた岩手県釜石市で震度6弱の地震にあった。港の酒店で撮らせてもらった写真は、記者人生で初めて1面に 載った。現場にいることだけが強い発信力を持つ。そう胸に刻んだ原点の場所を3・11直後に訪ねると、跡形もなかった。もし、昔と同じようにそこにいた ら……。

 「多くの記者の身代わりになったんだと思わせてもらっています」。
当時の彼の上司だった支社長に電話でそう伝えた。
顔も知らない彼のことは忘れない。

(木原貴之)

2012年04月04日

みつばちの目