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その記者の生前を私は知らない。しかし記者なら誰でも、彼の死に思いを重ねたはずだ。
9年前、新米記者だった私は偶然居合わせた岩手県釜石市で震度6弱の地震にあった。港の酒店で撮らせてもらった写真は、記者人生で初めて1面に 載った。現場にいることだけが強い発信力を持つ。そう胸に刻んだ原点の場所を3・11直後に訪ねると、跡形もなかった。もし、昔と同じようにそこにいた ら……。
「多くの記者の身代わりになったんだと思わせてもらっています」。
当時の彼の上司だった支社長に電話でそう伝えた。
顔も知らない彼のことは忘れない。
(木原貴之)
2012年04月04日